ボクシングの見方① —ラッキーパンチとKO―

ボクシングは見方を知ると、もっとおもしろい!と私は思っています。

ボクシング観戦をもっと面白くするための「ボクシングの見方」と題して、見方のコツを解説していきたいと思います。

初回は、ついつい注目してしまいがちな2つの見方、「ラッキーパンチ」と「KO」について解説としたいと思います。

これを知ると、ボクシングの見方が180度変わるかもしれません👍

目次

ボクシングに「ラッキーパンチ」は無い

ボクシングには「ラッキーパンチ」という言葉がありますが、実はこれ、リングの中には存在しません。私の経験ではありますが、リングの中にあるのは「ラッキー」ではなく「圧倒的なリアル」です。なぜなら、リングの中にいるのは「私」と「私を倒そうとする圧倒的な脅威」しかおらず、己自身で自分の身を守りかつ勝利のために闘わなければならないからです。

また、選手の言葉の中には「パンチの感触がなく気が付いたら相手が倒れていた」なんて話はありますが、それは「たまたま何となくパンチを打ったら当たって、KOになった」というわけではありません。なぜならプロボクサーは、一般からは想像を絶する苦悩と努力に耐え、ようやくこの舞台であるリングに立っているからです。プロの世界、実力の世界において「運が良かった、悪かった」はあり得ないのです。

ではなぜ「ラッキーパンチ」という言葉があるのかというと、それは観客の側から出てしまう言葉なのです。例えば、応援していた選手が負けてしまったときに、慰めようとして「(あなたの実力ではなく)運が悪かっただけだよ」「ラッキーパンチをもらっちゃったね」といった時などに使われたりします。その気遣いはわからなくもないのですが、その言葉を選手目線で見ると、選手の日々の努力が浮かばれない言葉になってしまいかねないのです。なぜなら先述の通り、リングの中での一瞬一瞬の動作、一つ一つのパンチは、その選手が日々のトレーニングの中で大変な努力をして作り上げてきたものなので、それをラッキーと一言で片づけてしまうのは、いささか切なく感じます。

私は、この「ラッキー」という言葉には、観る側の「なんでパンチが当たったかわからないからラッキーにしてしまおう」という意図が感じられ、あまり馴染むことができません。

観戦の中で、選手の一つ一つの動きをすべてを理解する必要はありませんが、その選手の姿から何かを感じ取ったのなら、「それが何かは分からないけど、その動きにはきっと意味がある」という目線で彼らを応援していただけたら彼らの努力も浮かばれるのではないかと思います。

KOだけに注目しても見方は深まらない

ボクシングで最も盛り上がるシーンはKOの瞬間ではないでしょうか?

KOはボクシングの華であり、当然KOを期待する人も多いと思います。しかし、KOが起こった時「なぜKOになったのか?」という話になったとしても、その答えは、「パンチが当たったから」であり、精々どのパンチが当たったかという話以上に深まることはありません。しかし、その疑問を一歩踏み込むと「なんでそのパンチは当たったのか」という疑問に変わります。この疑問こそが「ボクシング眼」を深める思考なのです。なぜなら先述のとおり、そのパンチが当たったのには必ず理由があるからです。その理由を読み解くことができれば、その選手の「創意工夫」や「努力」が見えてきます。KOは瞬間の出来事でしかなく、試合を占める時間のほとんどはパンチの打ち合いや駆け引きです。「なんでそのパンチは当たったのかと言う目線」は、KOの瞬間だけでなく、最初から最後までボクシングを楽しめる見方ではないかと思います。

「ラッキーパンチ」「KO]の見方 まとめ

さて、いかがだったでしょうか?まとめますと、

①ボクシングにラッキーパンチは無い⇒選手の動きには必ず意味が含まれている

②KOではなく「なぜパンチが当たったのか」に注目する

この2つの見方でボクシングの試合を観戦すれば、皆さんの中に「なぜ」がたくさん出てくるのではないでしょうか?

これから、皆さんがボクシングを観て感じた「なぜ」が、「そうだったのか」のヒントになったらと思い、私が見てきたさまざまな「なぜ」を解説していきたいと思っています。

またお読みいただけたら嬉しいです。ではまた!

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